シリーズ東京をみる①-荒井由実「瞳を閉じて」-

こんにちは。兒玉です。年末ですね。
ちょうど数日前、友人と話していて言葉にできるようになったことがあったので共有したいと思い書いています。

東京から30km圏内の街に10年以上住んでいる私。話すと長くなりそうですが大学生になってから、都内の大学に通うということもあり、生活の中に東京は不可欠な状況になっています。まだ高校生の頃は行く頻度も少なかったですが今は別です。定期券を持ち、誰かに会いたければ土日でも東京まで出て何かしているので、1時間以上の都心部への移動も当たり前かなあと思うところ。

僕の中で東京との距離感が変わったと感じたタイミングはいくつかあります。

東京と自分の距離感について、今回はユーミンの「瞳を閉じて」をテーマに考えてみようと思います。

まだ旧姓の荒井由実だったころ(松任谷正隆と結婚する前)、彼女は「瞳を閉じて」という曲を発表しています。

五島列島に住む女子高生から、「分校である自分たちの学校には隣の島にある本校の校歌が使われているから、自分の島の校歌をつくってほしい」と依頼を受けて(多少の紆余曲折を経て)ユーミンが作曲したのがこの「瞳を閉じて」です。その様子はNHKによって過去何回かまとめられています。

この曲は本人が話しているように、一度も島を訪問したことのない状態で、お便りをもらったあとそのイメージで書き上げたといいます。

それ以降(2番目の映像にあるように)高校の愛唱歌(校歌に近いもの)として採用され、この奈留島から船が出航するときの音楽として島の人に愛されているようです。

小学生の頃から私はこの曲が好きでしたが、曲誕生のエピソードを知ったのは大学生になってからでした。どちらにせよ思い入れのある曲です。その変遷をたどって、都市と地方について考えてみたいと思います。

たしか僕が小学6年生くらいだったと思います、長野と群馬の県境、北軽井沢にあったJAの施設「みるく村」で、誰もいない牧場跡と販売所でただひたすらこの「瞳を閉じて」と同じくユーミンの「翳りゆく部屋」が流れていたことが脳裏に焼きついています。

みるく村では、等身大の模型の乳牛が駐車場脇の草むらで静かに浅間山を見つめ、その脇の売店でソフトクリームが売られている。ちょうど夏の雨上がりだった夕方。言葉にできないほどの寂しさを覚えました。北軽井沢のリゾート地の印象に引っ張られ、80,90年代にタイムスリップした感覚もあったんだと思います。(今もあるみたいです。国道146号沿いです。)

大学受験で浪人したときの夏に初めて長崎の池島へ行ったときも、ふとこの曲が思い出されました。知り合いがいない状況で海の上で過ごすことはこれまでなかったので、海を見ながら思い巡らす初めての機会だったのかもしれません。

池島に初めて行った時は肥前大島で乗り継ぎました、またこんど話しますね。

恥ずかしながらこのときやっと歌詞がスッと入ってきました。あ、海だったんだ、っていう。島を離れる人の思い、もう離れたところにいて懐かしむ姿が、少しだけ理解できた気がしたんです。2番の歌詞が特に好きです。

”霧が晴れたら 小高い丘に立とう

名もない島が見えるかもしれない

小さな子供に尋ねられたら

海の碧さをもう一度伝えるために

今 瞳を閉じて 今 瞳を閉じて”

そして大学生になった頃「瞳を閉じて」の成り立ちを知りました。

根府川で海を眺める。

ここで注目したいのは、冒頭で言ったように僕は東京のそばで生活する人であり、ユーミン本人も出身地・居住地ともに東京の人であるということです。必要以上かもしれませんが突っ込んで書きます。曲が発表された当時から奈留島で親しまれているこの曲、歌の目線は都市に住む人からで、歌詞は都市の人が持つ島のイメージの投影なのではないかという再考察です。

ユーミンは八王子に生まれ、芸術大学に通い、都市の・東京の音楽文化のなかで過ごしました。あの歌詞は、都市での生活があって生まれた、地方にむけた眼差しのように感じます。映像の中でユーミン本人はこのように言っています。

(ラジオ番組を通して校歌を作ってほしいと頼まれたことについて司会から)

司会:「どんなイメージで(作られたんですか)。」

ユーミン:「なんていうのかな、その学校の校歌という名目でもね、学校の人が歌うというより。

話によると、そこの島にはみんな残らなくなっちゃってると。

例えば集団就職とかいろんなことで、島以外の所にみんなこうバラバラに出て行くということを聞いたので、出て行った人が歌える歌がいいんじゃないかと思って。」

https://www.youtube.com/watch?v=R4DKuZA0Vfc&t=64s(最初の動画より)

島を離れる・故郷を離れる別れについて歌った曲はもちろん、この曲以前にもたくさんあります。ただこの曲について絶対的に言えることは、都市に生まれたユーミンから、かつて島にいたけれども一度島を離れた人に向けて書かれた曲であるという、作り手と受け手の構造があるということです。これは島という環境に限られた訳ではありません。多くは、故郷を離れ都市に移動するという行動に当てはめられると思います。

この構造が、曲への共感を広く生んで行ったのではないでしょうか。

東京から30km離れた所に住む私が、「故郷を離れ都市へ向かう際の哀しさ」を認識できるようになったタイミングは、初めて池島に行った頃でした。浪人していた当時私は東京都内の予備校に通っており、小中高と地元の学校に通っていた自分にとって、予備校とはいえ十分新しい感覚でした。このとき、生活の一部に東京が組み込まれていったことは強く自覚しました。東京を自分が感覚的に取り込むことができたタイミングと、特にそれまで縁のなかった九州の離島を訪れたタイミングが重なったことが、僕の東京の捉え方に深みを持たせていたのではないかと思えます。「瞳を閉じて」の解釈が自分の中で変わったのはまさにその頃でした。

余計なことかもしれませんが、僕の中の大学1年生のときの気持ちとして正直に書けば、ずっと九州の大学に行きたかったこともあって、浪人していたときは特にその地域のことを調べ、住民になったかのようにスーパーやバスなどの生活情報を調べていました。3月ごろには完全に頭が北部九州に移住していて、4月に無理やり東京へ引き戻されたようでした。一度も住んでいないのに、私の中では九州の地に何かを置いてきたような感覚があったんです。とてもエネルギーを使いました。大学1年生のあいだ1年間。首都圏から離れたいと当時思っていたことがそのように僕には表面化していました。(また今度ちゃんと書きます。)怒られるかもしれませんが、その経験で、「瞳を閉じて」への一種の共感が強まっていったと、いま思っています。

東京は、故郷から人を吸収していく“都市”の代表格として、少なくともこの歌では具体的に語られずとも背後に見え隠れしていたように思います。

それほど、自分の暮らしの中に東京が入っていったのは衝撃的でした。

今日はここまで。読んでくださってありがとうございました。

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