八女福島の街の成り立ちと活用保存についてお話しましたが、今度は“そんなまちにあるうなぎの寝床(以下うなぎ)とは”というテーマです。
事実の整理,列挙をすることも大事だと思っているので、僕なりに一旦それをしています。それらの情報源は、昨年の8月に代表の白水さんやうなぎのスタッフさんから聞いた話です。
前回のエントリーで、八女福島には江戸時代からほとんど変わっていない町並みがあって、一度都会へ人が出て行ってしまい空き家が増えてしまったところを、行政やNPOが地域活性化し続けてきましたよ、っていう話をしました。そしてうなぎはこの八女福島にありますが、いま店舗になっている建物も実はもともと空き家でした。
うなぎが立ち上がったのは2012年のことです。立ち上げの2人(白水さんと春口さん)はもともと大分大学で建築学を専攻。卒業後は2人でデザインコンペに応募していたのがきっかけで、厚労省の雇用創出事業「九州ちくご元気計画」に参画するようになり、特に福岡県南部(いわゆる筑後地方)のものづくりを営んでいる中小企業の製品のデザインやブランディング、流通方法などを考えていたそうです。
その期間に関わった人たちや製品をそもそも知ってもらわないと買ってもらえないということの重要性に気づき、産地にも近い場所、ということで八女を選ばれたそうです。
-改めて八女の特徴を整理しよう-
この地域、手工業が長く根づいている土地でもあります。特に八女は産地・生産地としての性格が強く、しかも多くが分業制なのもあり、完成した製品が集まり売られる場所は少なかったんじゃないかと思います。
あくまでこれは地理学的な思考に基づく推察です。八女で長く作られてきたのは嗜好品というよりかは生活必需品でした。久留米絣に代表される布地、八女茶として知られるようなお茶、水運に使われた矢部川とその上流豊富な竹林を利用して作られたカゴなどの竹製品などです。
こうした生活必需品は、製品を利用する人の多い場所(=都市)からほど近い郊外で生産されてきました。そして売られる場所は当然都市部です。郊外で作られた製品が都市で消費されるというモデルです。八女という街は、現在の福岡市や久留米市などへ製品を供給する郊外であると考えられます。
全国の、デザインや地域と密接に関わる製品を紹介するD design travelという雑誌があります。有名ですよね。この業界において影響力が大きい雑誌だと私は思っていますが、この実店舗があるのは都市部です。「地域の良さ・取り組みを評価する」という動きはやはり都市(=消費する場所)で行われていて、それほど昔と変わらないのです。
こう考えると、“郊外の生産地にありながら、その土地のものを売る場所”が、つまりうなぎが登場していたのは新しい動きだったのではないでしょうか。今から8年も前、2012年に誕生していたというのが私には驚きだったのです。
-うなぎの役割って何?-
2つ前のエントリーで話したように、うなぎは文化(地域文化)という言葉を丁寧に定義していました。文化は「土地と人、人と人が関わり合い生まれる現象の総体」。うなぎはどういう会社なのか、店舗やホームページを見ると“特産品を取り扱うアンテナショップ”に近いものを感じるかもしれません。
うなぎの活動は、以下の図のようなプラットフォームに分類できると思います。
特徴として、多くの媒体を持っていることが挙げられます。文章だけでなく、写真や映像も公開されていたり、販売されている商品の生産者へのインタビューや見学の様子、それがこれまで地域で残ってきた理由、新たな商品開発の模様などを知ることができます。僕はこれに感動しました…以下その具体例です。
こういうアーカイブの作業って、多くは行政or地元のテレビ局が数十年に一回、地域を記録しようということで業者へ委託されることが多いですよね。私は千葉テレビの「房総プロムナード」という番組で昭和の千葉の行商が紹介される回が大好きですが、そういうものです。博物館で古いテロップと一緒に流れている番組みたいな。
そんななか、製品の販売をしながら、現代の技術で記録も行なっている民間ってなかなか珍しいと思うのです。映像だけでなく、写真や文章などあらゆる手段が使われます。そしてその成果はこのようにYouTubeで公開されたり、冊子になったり、展示会でフリップになったりと展開されていきます。しかもそこで、うなぎの長所が活きてきます。デザインに優れているのです。行政が同じ作業をやるのに比べて、そのアウトプットがわかりやすいというのが何よりも強いところだと思います。
2店舗あるうち、旧寺崎邸では、九州外の商品も扱っています。僕が伺った時は山口の萩ガラスの紹介がされていました。とにかくマニアックです。地学分野を専攻している人なんか大喜びな展示です。
ひょんな好奇心から地域のことを知れる、そういうきっかけといいますか機会といいますか、仕掛けがあるんですね。上野の科学博物館か?と言いたくなる。
そして、ガラスの原石をきっかけに、八女の伝統工芸品、石灯篭の素材に展示が続きます。阿蘇山の噴火に由来する凝灰岩がここに分布していることも知ることができるんです。展示室の作り方は、うなぎのスタッフのみなさんが考えられているといいます。このときは前田さんに説明していただきました。(うなぎのみなさんのポートレートを撮らせてもらったんですが、モノクロフィルムで現像をミスってしまい無かったことになってしまった…)店舗があるからこそ、こういった実物を並べた展示ができますよね。
このように、インターネットや店舗のそれぞれの特性を活かしながら活動が展開されています。
代表の白水さんに伺った話によると、店舗/拠点を産地に近いところに出していることで、商品そのものについてやそれらを生み出している「作り手」と連携が取りやすいといいます。冒頭でちくご元気計画に触れたように、地域の産業が維持できるよう、つまり地域で雇用が生めるように、ブランディングの手伝いをしている。また、そのほかの利点について以下のように述べていました。
道の駅に特産品がただ置いてあったとしても、それがどういう経緯でできて作り手(生産者)は何を考えているのかが見えない。東京などの都市部で売られれば使い手(消費者)が中心になり下請け的な立ち位置になってしまう。だから、生産地で店舗を出すことは流通コストがかからないことに加えて使い手からのフィードバック(修理やクレームなど)を受けやすいという点で優位性がある。
2019年8月30日、熊本からの視察団への説明で
次は最後に、主力のMONPEを例に、どういう取り組みが行われているかを紹介してから、地域との距離感をどう保っているのか、どこを心がけているのか、聞いた話を元に書こうと思います。いやあ、長編ですね。